盛岡地方裁判所 昭和42年(行ウ)4号 判決 1976年11月11日
主文
一、原告(反訴原告)の被告に対する本訴請求を棄却する。
二、参加人(反訴被告)と原告(反訴原告)との間で、別紙目録一記載のうち1乃至5、9乃至11の各土地および別紙目録二記載の建物がいずれも参加人の所有であることを確認する。
三、参加人(反訴被告)の原告(反訴原告)に対するその余の参加請求を棄却する。
四、原告(反訴原告)の参加人(反訴被告)に対する反訴請求を棄却する。
五、訴訟費用は全部原告(反訴原告)の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一、原告(反訴原告)
(本訴請求)
1 被告が別紙目録一記載の各土地につき、昭和三二年三月二〇日、参加人(反訴被告)を売渡の相手方としてなした売渡処分は無効であることを確認する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
(反訴請求)
1 反訴被告(参加人)は、反訴原告(原告)に対し、別紙目録一記載の各土地および別紙目録二記載の建物につき、各所有権移転登記手続をせよ。
2 反訴費用は反訴被告(参加人)の負担とする。
(参加請求に対し)
1 参加人(反訴被告)の請求を棄却する。
2 訴訟費用は参加人(反訴被告)の負担とする。
二、被告
(本訴請求に対し)
1 原告(反訴原告)の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告(反訴原告)の負担とする。
三、参加人(反訴被告)
(参加請求)
1 参加人(反訴被告)と原告(反訴原告)との間において、別紙目録一記載の各土地および別紙目録二記載の建物がいずれも参加人(反訴被告)の所有であることを確認する。
2 訴訟費用は原告(反訴原告)の負担とする。
(反訴請求に対し)
1 原告(反訴原告)の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告(反訴原告)の負担とする。
第二 当事者の主張
(本訴請求)
一、原告(反訴原告、以下単に原告という)の請求原因
1 別紙目録一記載の各土地(以下本件土地という)はもと国の所有であつたところ、被告は昭和三二年三月二〇日、農地法第六一条以下の規定に基き、参加人(反訴被告、以下参加人という)を売渡の相手方とする売渡処分をしたうえ、昭和三七年九月一二日、その旨の所有権移転登記手続を了した。
2 しかしながら右売渡処分には次のような重大かつ明白な瑕疵があつて無効である。すなわち
(1) 参加人は、肩書地に居住して本件土地を含む開拓地には居住せず、本件土地の開墾に従事したことも、耕作していたこともない。従つて農地法第六四条、同法施行法第一一条乃至自作農創設特別措置法(以下自創法という)第一六条第一項、第四一条、第四一条の二、同法施行令第一七条等所定の売渡相手方となるべき資格をまつたく有しなかつたものである。
(2) 更に農地法第六五条によると、農地の買受申込をする者は、その土地の属する市町村の区域に設置された農業委員会に買受申込書を提出しなければならない旨規定されているところ、参加人は右申込書を提出しなかつたにもかかわらず、被告は同法第六七条に反し参加人に本件土地を売渡したものである。
(3) 仮に右(1)、(2)の主張が理由がないとしても、被告は、昭和二一年三月一一日、参加人に対し(参加人名義)本件土地への入植を許可し、その後前記のとおり昭和三二年三月二〇日、参加人に本件土地を売渡したものであるところ、原告はそれ以前の昭和三二年二月一一日、参加人との連名で被告に対し、入植名義変更許可申請をなし、被告は同年三月四日付、同月一三日着の通知書により参加人名義から原告名義への入植名義変更許可をなしたものであり、その後原告は本件土地において開墾および耕作に従事してきた。
右手続は、参加人から原告への本件土地の売渡を受くべき法的地位の譲渡あるいは実質上農地法第七三条第一項第四号、同法施行規則第四三条、第二条第二項による参加人から原告への本件土地の所有権の移転というべきものである。
従つて参加人は右入植名義変更許可のあつた昭和三二年三月四日以降は、本件土地の売渡を受くべき者であつたとは到底いえない。
3 しかして原告は昭和二〇年秋から、本件土地を開墾して耕作を続けてきたものである。
すなわち、終戦後、被告は職業のない復員軍人に限り、彼等を旧軍用地であつた本件土地の存在する観武ケ原に入植させ、食糧の自給にあたらせていたが、復員軍人で職業のなかつた原告は、昭和二〇年秋ころから本件土地に入植し、昭和二一年七月婚姻後は妻訴外ミヱとともに観武ケ原開拓地に居住して、開拓に従事してきた。
ところで被告は、昭和二一年三月一一日、父岩太郎(参加人)名義で右開拓地への入植を許可したが、参加人は、当時国鉄(現在の)に勤務して開拓に従事していなかつたため、自創法第四一条にいう農業に精進する見込のある者とは認められず、昭和二二年一二月一日ころ離農勧告を受け、その後本件土地の開拓に従事していた原告に入植者名義を変更することを条件に入植を許可された。そして原告は、前記2(3)記載のとおり、被告に対し参加人との連名で入植名義変更許可申請をなし、昭和三二年三月四日付で参加人名義を原告名義に変更する旨の許可がなされ、その手続を了した。そしてその後、原告は観武ケ原開拓農業協同組合、開拓営農振興組合等の組合員となつて営農に従事してきた。
従つて、本来開拓の当初から自創法第四一条の二、第一項による本件土地の一時使用許可(なお農地法施行法第一一条により右規定により使用しているものは、農地法第六四条の規定により売渡予約書の交付を受け同法第六八条の規定によりその土地の使用をしている者とみなされる。)を受けたのは、実質的には原告であり、原告が本件土地の売渡を当然に受くべき者であるが、被告の参加人に対する本件土地売渡処分の無効確認を得たうえでなければ、原告に対する売渡は行なわれないので、本件土地売渡処分の無効確認を求める利益がある。
4 よつて本訴請求に及ぶ。
二、原告主張の請求原因に対する被告の答弁
1 請求原因1は売渡の日付を除いて認める。本件土地の売渡処分の日は昭和三二年三月一日である。
2 請求原因2(1)、(2)は否認し、同(3)は、本件土地への入植許可が参加人名義でなされたこと、参加人から原告への入植名義変更申請のなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。仮に入植名義変更の許可がなされていたとしても、本件土地売渡処分がなされた後であり又右許可処分には何らの法的効力はないから、本件売渡処分には何ら影響も及ぼすものではない。
3 請求原因3のうち入植許可が参加人名義でなされたこと、参加人が国鉄(現在の)に勤務していたため、そのころ離農勧告を受けたことは認めるが、その余の事実は否認ないし不知である。
(参加請求)
一、参加人の請求原因
1 参加人は、昭和二二年二月一一日、本件土地につき被告の入植許可を受けて開墾に従事し、昭和三二年三月二〇日付売渡通知書をもつて、売渡の期日を同年三月一日、開墾を完了すべき時期を昭和三七年三月一日と定められて被告から売渡を受け、その後右三七年三月一日までに開墾を完了し成功検査を経た上、同年九月二六日、所有権保存登記を了したものである。すなわち、
(1) 参加人(明治二九年九月三〇日生)は、昭和二○年ころ鉄道職員であつたが、食糧難時代でもあり、本件土地の存在する観武ケ原への入植願いを被告宛提出していたが、翌昭和二一年二月一五日付で入植を許可されたので妻子とともに指定された土地(後に現在の本件土地に変更された。)の開墾に着手した。参加人は昭和二四年七月一三日までは国鉄(現在の)に勤務していたので、休日以外は開墾に従事することができず、主として妻ハルと原告を除く参加人の子供達が開墾に従事したが、国鉄を退職した右昭和二四年七月一四日以後は盛岡市油町(旧町名)から本件土地に通い、その間昭和二三年九月ころには、本件土地上の一部に一〇坪程の家屋を建て、春から秋までの農作業の可能な期間には、右家屋に妻ハルとともに寝泊りして、開墾ないし営農に従事した。昭和二五年ころからは居住先の旧青山町兵舎から立退きをせまられていた原告とその妻ミヱを呼びよせ、右家屋を五坪程増築して同所に居住させた。しかして原告の妻ミヱは子供の養育のあいまに参加人の家族の一員として参加人の開墾を手伝つたが、原告は昭和二六年ころからベニヤ工場、鹿島建設等で稼働していたため、開墾事業を手伝うということはなかつた。そして参加人は、農地法の施行に際し農地法施行法第一一条により、「農地法第六四条の規定により売渡予約書の交付を受け、同法第六八条の規定により本件土地の使用をしている者とみなさ」れ、前記のとおり昭和三二年三月一日、被告から本件土地の売渡を受けたものである。
(2) 参加人は原告と連名あるいは単独でも被告に対して入植許可名義の変更を申請したことはないが、仮に右事実および名義変更許可の事実が認められたとしても、農地法上国が売渡すことのできる土地およびその手続については農地法第六一条乃至七五条に規定されているが、未だ国が売渡をする以前の売渡を受くべき地位の譲渡については何らの規定がなく、右入植名義変更は何らの法的効力を有しない。
又同法第七三条には、第六一条の規定により売渡された土地については、同法第六七条第一項第六号所定の時期到来後三年を経過する前にその土地の所有権を移転するには一定の例外を除いて農林大臣の許可を受けなければならない旨規定されてはいるが、入植名義変更申請およびその許可をもつて、原告の主張する本件土地所有権の移転行為であるということはできず、又仮にそうだとしても同法第七三条但書、同法施行規則第四三条、第四三条の二に該当するものでないので所有権の移転には農林大臣の許可を要するところその許可がなされていない。
(3) なお、参加人は前記のとおり昭和二一年二月一五日、被告から入植許可を受け家族とともに開墾に従事してきたものである。ところで、同年一〇月二一日、自創法が制定され、本件土地は同法第四一条第一項、第三号に該当し、売渡までの右土地の無償使用は同条の二に定めた一時使用の許可によるべきものとされたため、被告は観武ケ原の入植者が同条の基準に合致するものか否かについてそのころ実態調査をした。その際参加人は国鉄(現在の)職員であつたため、被告から同条の基準に該当しないものとして離農勧告を受けたことはある。しかし自創法第四一条によれば自ら農業に精進する見込があれば、一時使用許可の対象となりうるところから、参加人は昭和二四年七月一四日、国鉄を退職し、その後は前記のとおり自ら妻子とともに開墾に専念したので昭和二五年一月二五日、入植者再確認審議会において入植適格者として再確認されたものである。
(4) 以上のとおり、被告から参加人への本件土地の売渡処分は、適法になされたものである。なお原告の被告に対する本訴請求は原告適格がない。
2 参加人は、前記のとおり別紙目録二記載の建物を昭和二三年ころ本件土地の開墾に必要なため自己の費用で建築した。
3 従つて、本件土地および本件建物はいずれも参加人所有であるのに、原告はこの事実を否認して参加人の所有権を争うのでその旨の確認を求める。
二、参加人主張の請求原因に対する原告の答弁
参加人が被告から売渡処分を受け、保存登記を了したことは認めるが前記本訴の請求原因で主張した通り右処分は無効である。その余の事実はいずれも争う。
(反訴)
一、原告の請求原因
1 原告は、入植名義の変更許可を受けた昭和三二年三月一二日から本件土地を自己所有土地であると信ずるにつき無過失で占有を継続しているので、その後一〇年を経過した昭和四二年三月一二日をもつて本件土地の所有権を取得した。
2 仮に右主張が認められないとしても、原告は、妻訴外ミヱとともに、被告の承認の下に本件土地に入植し、昭和二三年九月ころから、将来売渡処分を受けることを信じて開墾および耕作して本件土地を、又同年同月ころ建築された本件家屋にはそのころから居住してそれぞれ所有の意思をもつて平穏公然に占有を継続しいずれも二〇年を経過したので、昭和四三年一〇月一日をもつて取得時効が完成し、本件土地および家屋の各所有権を取得した。
3 よつて参加人は原告に対し取得時効を原因とする本件土地および本件家屋の所有権移転登記手続をする義務がある。
二、原告主張の請求原因に対する参加人の答弁
1 請求原因1は否認する。
2 請求原因2のうち、原告が本件家屋に居住していたこと(但し昭和二五年ころから)、原告の妻訴外ミヱが休日には本件土地の開拓を手伝つたことは認めるが、その余は否認する。
第三 証拠(省略)
理由
(本訴請求について)
一、まず原告が被告に対し本件売渡処分の無効確認を求めるについて、行政事件訴訟法第三六条の原告適格を有するか否かについて判断する。
1 原告は、「昭和二一年三月一一日、被告から本件土地への入植許可を受け(もつとも入植許可名義は原告の父である参加人であつたが、本件土地に入植して開拓に従事したのは右参加人でなく原告であるから右許可は原告に対してなされたものと解すべきである。)本件土地を開拓して耕作してきたのであり、本件土地につき参加人に対しなされた売渡処分の無効が確定されることにより、農地法第三六条第一項によつて新に行なわれる売渡処分について売渡の相手方となる資格を有する」と主張する。
2 なるほど、自創法第一六条による売渡処分がなされた農地につき、この売渡処分の無効が確定されると、改めて農地法第三六条第一項により売渡処分がなされることは、農地法施行法第一三条に照し明らかである。
しかして原告の前記主張によれば、この場合、原告は農地法第三六条第一項第一号、又は第三号に該当するというもののごとくである。
3 ところで農地法第三六条第一項第一号にいう小作地につき現に耕作の事業を行つている者とは当該農地を所有権以外の権原にもとづいて耕作の事業に供する者を指称するところ本件につき原告が主張するところの被告から入植許可を得たとは、自創法第四一条の二、第一項所定の使用権限を被告から付与されたということ、すなわち本件土地につき被告との契約で耕作権限を取得したものと解される。しかし右入植許可は原告も認めるとおり参加人名義であるという点で、原告が参加人をさしおいて直ちに右農地法第三六条第一項第一号に該当するものとは断じえない。もつとも右事情に付加し右参加人が原告の実父であり、原告がその主張のとおり右入植許可の当時から単独或は参加人と共同で耕作に当つていたものとすれば、原告が同法第一項第三号に該当する可能性は極めて大きいものといえる。なお同条同項同号の「自作農として農業に精進する見込みがある者で農業委員会が適当と認めたもの。」に該当するか否かは同条同項第一号の場合と異り、農地法の目的に照し、被告の政策的技術的考慮にもとづく判断に委ねられており、その裁量によるものではあるにしても、前記のとおり原告が本件土地の売渡の相手方となる可能性は相当高度なものと認められる以上原告には本件土地の売渡処分の無効確認を求める法律上の利益があると認めるのが相当である。
二、1 本件土地の開拓について
(1) 成立に争いない甲第一号証、甲第七号証の一、二、甲第八号証、甲第一四号証の一、二、丙第七号証の一、二、証人千葉春海、同小原貞利、同斉藤エサミ、同藤原富五郎、同鈴木藤七郎、同中村ミヱ(第一、二、三回、但し、後記措信しない部分を除く)、同五十嵐孝吉、同菅原ヤエ、同村上クニ、同中村小次郎の各証言、原告本人尋問(第一、二回、但し後記措信しない部分を除く)の結果によれば、本件土地の存在する観武ケ原地域はもと軍用地であつたが、昭和二〇年の終戦直後ころ、被告は食糧生産のために右地域を開拓させるべく、同地域への入植者を募集したこと、その際入植者については、復員軍人のいる世帯を主として対象としたが、それに限つたというものではなかつたこと、参加人は終戦直後の食糧難ということもあつて、これに応募し、昭和二一年三月一一日、観武ケ原に入植を許可され(入植許可が参加人名義でなされたことは当事者間に争いない。)、開拓地の割当を受け、そこで開拓に従事していたこと、ところで自創法が制定施行されるのを機に開拓者資格につき個別審査が行なわれたが、参加人はその当時、現国鉄の盛岡工場に勤務していたため、昭和二二年一二月一日ころ、副業的開拓者であるとして離農勧告を受けたこと、しかし昭和二四年七月一四日、開拓に精進するべく、国鉄を退職したということもあつて、昭和二五年二月五日、参加人に対し入植許可が再確認されたこと、ところで参加人は、開拓作業の可能な季節には毎日のように開拓地に妻訴外ハルとともにバスあるいはリヤカーを引いて肩書住所地から通つていたが、肩書地から観武ケ原までは徒歩で少なくても二時間位かかるため、参加人は昭和二三年ころ、本件土地上に購入した建物の古材を利用して一〇坪程度の家屋を建築し、それ以後農繁期には、訴外ハルともどもその家屋に泊り込んで開拓作業に従事したこと、そのころ開拓者が集まつてできた観武ケ原開拓協同組合に用事のあるつど出頭していたのは参加人であること、一方原告は昭和二〇年ころ復員して参加人方に居住し、昭和二一年妻訴外ミヱと婚姻して、しばらくは参加人方に同居していたが、その後現在の盛岡市青山町に存在した旧陸軍兵舎(本件土地まで徒歩で一五分位)に妻と共に居住し、その後昭和二五年ころから、本件土地上に存在する家屋(前記認定のとおり参加人の建築した家屋にその際建増したもの、なおこの点については後に詳述する。)に居住するようになつたこと、原告の妻訴外ミヱは、農家の出身であつて、婚姻後昭和二三年から同二九年ころにかけ順次四人の子を出産したが、育児の合間に参加人や訴外ハルの前記開拓作業に協力したこと、本件土地から産出する作物は、参加人、訴外ハル、訴外ミヱの三名にそれぞれ三分の一づつ分配されていたこと、原告はその当時森永乳業盛岡工場、岩手ベニヤ等の会社に日雇として雇われ稼働していたものであるが、会社の休日等には参加人らの開拓作業を手伝うこともあつたこと、昭和三七年、農地法第八二条第一項、第七一条による成功検査が行なわれたが、その際の立入通知書の名宛人及び立会人は、いずれも参加人であつたこと、参加人が本件土地の開拓に着手してから以降昭和四一年ころ参加人が本件土地の一部を売却し、これを知つた原告が参加人をなじつたころまでは、参加人と原告との仲は円満で本件土地につき何らの紛争も生じなかつたこと、その後昭和四二年五月ころ原告を申請人とし、参加人を被申請人とする本件土地への立入禁止の仮処分決定がなされた後は専ら原告、妻訴外ミヱおよびその子供らにより本件土地の耕作がなされるに至つたこと、以上の事実が認められる。右認定に牴触する証人中村ミヱ(第一乃至第三回)、原告本人(第一、二回)の各供述部分は措信しない。
(2) もつとも証人千葉春海、同小原貞利の各証言、成立に争いのない甲第九号証の一、二によれば原告は昭和三二年ころから観武ケ原開拓農業協同組合の組合員となり、営農資金を借受ける等していた事実が認められるが、これは後記2認定のとおり参加人が本件土地売渡処分を受けた前後参加人から原告への入植名義変更許可に基く変則的な状況下でのことであり、且つ前記認定のとおりその当時の原告、参加人間の仲は円満であつたことに照せば、右事実から直ちに原告のみが本件土地を開拓していたものと推論することはできず、右は前記認定の妨げとはならない。
又成立に争いない甲第八二号証の入植者台帳には原告が当初から入植者であるかの如き記載がなされているが、証人畑山高雄の証言(第二回)によれば本件土地売渡処分のなされた当時は参加人が入植者として記載され、右甲号証はその後書直されたものであることが認められるので右も又前記認定の妨げとならない。
(3) 以上の認定事実を総合すると、参加人が本件土地に入植してから前記のとおり原告申請にかかる立入禁止の仮処分命令の発せられた昭和四二年ころまでは、本件土地の開拓作業に従事したのは、主として参加人、同妻訴外ハルおよび原告の妻訴外ミヱであり、原告および妻訴外ミヱが本件土地の開墾に従事したとしても(参加人や訴外ハルが老令化するに伴い、原告や訴外ミヱの開拓作業における寄与率が当然高くなつたであろうことは容易に推認しうる。)それは独立してなしたものではなく、参加人の家族の一員としてなしたものと認めるのが相当である。従つて原告の「参加人は本件土地において開墾に従事したこともなく耕作したこともないから、自創法第一六条第一項、同法施行令第一七条所定の売渡しの相手方となるべき資格を有しない」との主張は理由がない。
2 入植名義変更について
(1) 証人高橋弘悦、同及川尚之、同畑山高雄、同斉藤勇一郎の各証言によれば、被告は入植許可を受けて開墾に従事した者に対し、昭和二七年以降農地法上の手続に基き開墾農地を売渡していたものであるが、売渡前に入植許可名義人から病気又は老令等を理由に将来の相続人たる自己の妻あるいは子に入植許可の名義を変更し、将来それらに売渡してほしい旨の被告宛の申請があつた場合には、入植許可名義人と将来売渡を希望する者との連名による入植許可名義変更願、所属開拓農業協同組合に対する債権債務継承承諾書、更には名義変更許可申請人が許可名義人とともに当初から開拓に従事し将来も開拓を継続し、それを完成しうる者であるか否かについての農業委員会の意見書等を建設事務所経由で提出させたうえ、審議し農林部長名で名義変更を許可し、その後は新名義人に対し売渡手続をするといつた法律又は条例に基かない行政内部での便宜的取扱が昭和三五年ころまで行われていたこと、右により、新名義人に売渡された例がそのころ存在したことが認められる。
(2) ところで、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推認すべき甲第二号証(被告は成立を認めている)、原告本人尋問(第一回)の結果により真正に成立したものと認められる甲第三号証および証人藤原富五郎の証言によれば、原告と参加人が口頭で入植名義を変更したいと組合へ申入れ、その結果一定期間原告が観武ケ原開拓農業協同組合において組合員として扱われたこと、原告、参加人は、昭和三二年二月一一日ころ、参加人の坐骨神経痛を理由に連名で入植許可名義を参加人から参加人の長男である原告へ変更してほしい旨の申請を被告宛に出し、同年三月四日ころ、入植許可名義の変更の許可がなされたことが認められる。
(3) 一方成立に争いない乙第五号証、丙第二号証の一乃至一一及び証人高橋弘悦、同畑山高雄の証言とそれによつて真正に成立したものと認められる乙第一号証によれば、参加人は、昭和三一年一二月ころ本件土地の買受申込書を被告宛提出(この点については後に詳述する。)したこと、被告は、参加人に対し入植台帳とも照合の上本件土地を昭和三二年三月一日付で売渡したこと(その旨の通知書が同年同月二〇日ころ発付されたこと、しかして本件土地につき、昭和三七年九月二六日、参加人名義による保存登記がなされたことは当事者間に争いがない。)がそれぞれ認められる。
(4) すなわち、右(2)、(3)の認定事実によれば、参加人は買受申込書を提出する一方で、原告と連名で昭和三二年二月一一日入植名義変更申請をなしており、その後自己への売渡処分がなされると、そのままこれを放置し、又被告は同年三月一日付で参加人に対し本件土地を売渡した後、同月四日、原告に入植名義の変更を許可するといつた極めて不可解な手続がなされた訳である。(証人畑山高雄の証言によれば、売渡前に入植名義変更申請の出された後は、その結果がでるまで売渡手続を保留し、売渡後であれば、入植名義変更許可をしないかのいずれかの取扱がなされていたものと認められる。)これは岩手県の売渡手続の担当部局間が緊密な連絡を欠いたことと、参加人に原告への売渡を一たんは希望したもののその後その意思を撤回したために招来されたものと推認される。
(5) ところで、農地法第七三条第一項は、同法第六一条の規定により売渡された土地等につき、その売渡通知書に記載された第六七条第一項第六号の時期(開墾を完了すべき時期)到来後三年を経過する前に、その土地等の所有権、地上権等による権利を移転する場合には、農林大臣の許可を受けなければならない旨規定し、同条第一項第一乃至四号において、許可を要しない場合を規定している。
しかしながら右規定は、売渡された土地の所有権および使用権の設定移転に関する規定であつて、売渡を受ける以前の法的地位の移転に関する規定ではなく、この点に関する規定は、農地法上存在しないことは明らかである。従つて売渡を受ける以前の法的地位を変更しようとするには、法律上従前の入植許可を取消し、新に農地法第六四条により売渡予約書を交付するという手続によらざるをえず、被告の便宜行つていた前記認定(1)の入植名義変更手続は、農地法の規定によらないものとして違法というべきである。
もつとも、前記認定のとおり右名義変更許可申請の際に新名義人の資格等につき、一応の審査もなされておりその範囲も旧名義人の将来の相続人ともいうべき妻子等に限られていたといつた事情を考慮すれば、農地法第六四条、第七三条第一項第二号等の精神にも照らし、それらの新名義人に対するその後の売渡手続乃至売渡処分が直ちに無効となるとまではいい難い。
しかしながら、それだからといつて入植名義変更申請あるいはその許可がなされているにも拘らず、被告が当然資格のあつた旧名義人に売渡した場合に、そのことのみによつて、旧名義人への売渡処分が当然無効となるものではないと解するのが相当である。
けだし、被告の行つていた右名義変更許可の手続は前記認定のとおり法律の規定に基くものではなく、事実上、便宜上行なわれていたというにとどまり、新名義人が法律上当然被告に対し売渡を請求しうるといつた筋合のものではなく、又被告も新名義人に売渡す法的義務はなく、農地法上は売渡を受くべき地位にあるのはあくまで当初の入植許可を受けた旧名義人であると云わざるを得ないからである。
(6) しかして、本件においては前記認定のとおり参加人から既に被告宛買受申込書が提出されており、それに基いて被告が参加人に対し売渡期日を昭和三二年三月一日と定めた売渡通知書(なお売渡通知書が発行されたのは、同年三月二〇日であるが、成立に争いない丙第三号証によれば、その所有権の移転時期は売渡期日、すなわち同年三月一日であると明記されている。しかして、農地法第三九条、第四〇条によれば、当該土地の所有権は、その通知書に記載された売渡しの時期に、その通知書に記載された売渡しの相手方に移転すると定めている。)をもつて、本件土地を売渡したものであるところ、その際被告が右所有権移転時期である同年三月一日の時点で、入植名義変更申請のなされていたことを看過し、又右売渡通知書を参加人に発付する以前の同年三月四日に、入植名義変更許可をなしたことを看過したとしても、右入植名義変更の法的性格が前記のとおりである以上、右瑕疵をもつて参加人への本件売渡処分を無効ならしめる明白且つ重大な瑕疵ということができない。
(7) なお原告は参加人と連名の入植名義変更申請およびその許可をもつて、農地法第七三条による権利の移転であるとも主張するもののごとくであるが、前記のとおり同条の規定は、売渡処分後の権利移転手続であり、且つ売渡処分の有効を前提とするものであるから、売渡処分前の本件の場合に、同条を適用乃至準用する余地はなく、同条の規定を根拠に本件売渡処分を無効とする原告の右主張は主張自体失当である。
3 買受申込について
(1) 証人畑山高雄の証言によれば、乙第一号証は、建設事務所において売渡すべき土地を確定したうえ、その旨を記載し参加人自身が右土地を買受ける意思をもつて右文書に捺印したものと認められる。しかして乙第一号証には右岩太郎の住所署名押印があるだけで買受申込の日付、売渡予約書の交付を受理した期日および提出先である農業委員会の宛名欄がそれぞれ空白であることは明らかである。
(2) しかしながら、右証言によれば、右乙第一号証の各欄が空白であつても、他に同種の申込書や進達文書が一括して送付されてくるため、それらによつて右各空欄の内容が特定でき、売渡手続に支障をきたさなかつたことが認められるから、右買受申込書の一部に記載もれがあつたとしても、その程度においては、あながち明白且つ重大な瑕疵とはいい難い。
三、以上のとおり、被告の参加人に対する本件土地の売渡処分につき、これを無効ならしめる明白且つ重大な瑕疵の存在については、これを認めるに足る証拠がなく、原告の被告に対する本訴請求は結局理由がないから、失当として棄却を免れない。
(参加人の本件土地および本件建物の所有権確認請求について)
一、本件土地について
1 前記本訴請求において判断したように参加人は適法に被告から本件土地の売渡を受けたもので、本件土地は参加人所有であることは明らかである。
2 もつとも、成立に争ない甲第六五乃至第六七号証によれば本件土地のうち、別紙目録一の6の土地につき訴外橋本十造に、同7の土地につき訴外鈴木昌三に、同8の土地につき訴外鈴木ナミにいずれも参加人から盛岡地方法務局昭和四二年五月二六日受付で売買を原因とする所有権移転登記がなされているから、特に反証なき限り、右各土地の所有権は、参加人から右各訴外人らにそれぞれ移転したものと認めるべきところ、右反証として十分な証拠はない。
3 さすれば、本件土地のうち右三筆の土地を除いたその余の各土地が参加人の所有であると認めるのが相当である。
二、本件建物について
1 証人斉藤エサミ、同中村ミヱ(第一回、但し後記措信しない部分を除く)、同菅原ヤエ、同村上クニ、同中村小次郎の各証言、および成立に争いのない甲第一二号証、丙第一一号証を総合すると、本件建物は昭和二三年九月ころ参加人が当時盛岡市油町に居住して同所から本件土地の開拓に通うのに時間を要し不便だつたため、訴外石森仁太郎から平家一棟を買受けて解体して、本件土地に建築したものであり、その後昭和二五年ころから原告らが居住するに至つたが、参加人は農繁期には本件建物に寝泊りして開拓に従事したことが認められる。
右認定に抵触する証人中村ミヱ(第一乃至第三回)、原告本人(第一、二回)の各供述部分は措信しない。
2 以上を総合すると本件建物は参加人所有であると認めるのが相当である。
3 なお成立に争いのない甲第三四乃至三五号証、甲第三六号証の一、甲第三七号証、甲第三八号証の一によれば、本件建物の税金は原告方で負担していることが認められるが、右一事のみでは前記認定を左右するに足りない。
三、しかして、本件土地、建物につき、原告が参加人の所有を争つているので、参加人の原告に対する参加請求は、本件土地のうち別紙目録一の6乃至8の土地を除いたその余の各土地及び本件建物につき、これが所有権確認を求める限度で正当として認容し、その余は失当として棄却する。
(反訴について)
一、本件土地の時効取得について
前記本訴請求について認定したとおり、参加人は本件土地において国から右土地の売渡処分を受けることを期待して開墾および耕作に従事し、昭和三二年三月一日、売渡処分を受け、昭和三七年成功検査に合格し、そのころ保存登記を了し、昭和四二年ころまで本件土地を占有してきたものであり、原告あるいはその妻、訴外ミヱが本件土地において耕作に従事したことがあつたとしてもそれは参加人を中心とした家族の一員としてであり、原告が参加人とは全く独立して、各主張日時ころから本件土地を単独所有の意思をもつて占有(自主占有)した(すなわち、本件土地につき客観的に明確な程度に排他的な原告の単独支配状態の継続があつた)ものとは到底いえないことは明らかである。この点に関する証人中村ミヱ(第一乃至第三回)、原告本人(第一、二回)の各供述部分は措信せず、他に右原告主張事実を認めるに足る証拠はない。
二、本件建物の時効取得について
成立に争いのない甲第一二号証によれば、成程原告は昭和二五年三月一五日ころから本件建物に居住している事実が認められる。しかしながら、前記参加請求につき認定したとおり、本件建物は参加人が自己の費用で自ら建築したもので、参加人所有であり、右建物に原告を居住させたのも立退先に困つていた原告に対する参加人の父親としての配慮に基くもので、参加人も昭和四二年ころまでは、農繁期には本件建物に寝泊りする等して使用していたとの事実に照らせば、原告が、その主張の日時ころから参加人の右占有を排除し、単独で本件建物の占有を継続したとすることに首肯し難いものがあり、この点に関する証人中村ミヱ(第一乃至第三回)、原告本人(第一、二回)の各供述部分は措信せず他に原告の右主張事実を認めるに足る証拠はない。
三、しからば原告の参加人に対する時効取得を理由とする反訴請求はいずれも理由がないから失当として棄却を免れない。
(結論)
よつて、民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。
目録一
1 盛岡市下厨川字穴持一三番
一 畑 一反歩
2 同市同字同一四番
一 畑 六反五畝歩
3 同市同字同一五番
一 畑 四反七畝一四歩
4 同市同字同一六番
一 畑 参反七畝歩
5 同市同字同二九番一
一 畑 六畝〇一歩
6 同市同字同二九番二
一 畑 三畝一〇歩(三三〇平方メートル)
7 同市同字同二九番三
一 畑 二畝一〇歩(二三一平方メートル)
8 同市同字同二九番四
一 畑 二畝二〇歩(二六四平方メートル)
9 同市同字同三二番
一 畑 三反六畝歩
10 同市同字上米沢六三番
一 畑 一反六畝歩
11 同市同字同六五番
一 畑 三反二一歩
目録二
盛岡市下厨川字穴持二四番
家屋番号五番
一、木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅一棟
床面積 五一、二三平方メートル(一五・五坪)